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2008年5月

2008年5月23日 (金)

昔+ちょっと昔は今

とうとう発売されました。パーヴォ・ヤルヴィ&ドイツ・カンマーフィルの
ベートーヴェン・チクルス第3弾交響曲第5番と1番。
492

早速、聴いてみたけども、ますます切れてます。
ただ、あっさりとしているだけではなく、重厚かつあっさり。
ピリオド奏法とモダン奏法の融合と書かれるけども、
それだけなんだろか。
ピリオド奏法が下火になりつつ、今、新しい奏法を
見つけてそれを押し出したい気持ちも分かるけども。
結局、ピリオド奏法を始めたのは学者たちであって、
学術研究という点からすれば、あって当然のこと。
それまでの奏法と違うのは、それこそ時代の変遷であって、
誰にも非はない。しかも、研究の成果であるとすれば、
プロである指揮者はチラリとだけでも目を向けるのが、
自然ではなかろうか。それを取り入れて演奏に向かう
指揮者が増えてきたということなのだろう。
それが、新しい流派になるのかは知らない。
そもそも流派があるのかだって分からない。
楽譜という素材を使って、自分の持っているものを、
音楽にして、聴衆を魅了する。
そういったスポーツ的な側面をこの指揮者は持っている
気がする。

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2008年5月10日 (土)

カラヤンの生誕100年

 久々の更新。最近、芸能人とかのブログを見ていることが
多いのだけど、良く毎日更新できなるなぁと感心している
人間です。少しは見習わなくてはいけません…。
 今年は帝王カラヤンの生誕100年の年。といっても、
カラヤンだけではなく、ナニワの大将朝比奈隆の生誕100年
でもあります。別のジャンルに目を向ければ、名優長谷川一夫。
小説では永井荷風の「あめりか物語」が刊行された年。
なんでこんなことを知っているかといえば、2000年に新潮文庫
で組まれたシリーズ、1901年から2000年まで1冊ずつその年に
刊行された本を取り上げた「新潮文庫20世紀の100冊」で、
1908年は永井荷風「あめりか物語」が割り当てられていたから。
で、僕はそのとき、その本を買った。もう、背は日に焼けて
薄くなり、プレミア(がつくかどうかわかりませんが)的な価値は
ほぼゼロに等しくなっている。まぁ、どうでもよいのだけど。
 1908年に生まれたカラヤンは、それこそ20世紀を代表する
指揮者でした。全てを手に入れたけど、それが果たして幸福を
もたらしたどうか。ほとんど小説になるような生涯のように思える。
ヨーロッパ中のオーケストラを手中に収め、自家用ジェットで、
世界中を飛び回る。そこに至るまでに幾多の苦労、陰謀。
苦労して手に入れたオーケストラとの決別。
果たして最後に彼が見たものは?! と入れれば、立派な
ドラマが出来上がる。
 僕個人的なことを言えば、カラヤンの作る音楽は、まだ良く
分からない。分かろうとしていないところもあるけども。
でも、彼がいなければ、ここまでCDで音楽を楽しめることも、
なかったのではないだろかと、ふと思うときもある。
CDだか何かを作るときに、時間を自分のベートーヴェンの第九が
入るように設定したのは有名な話だし、自分を全面に押し出し、
クラシック音楽のより一層の大衆化を果たしたといわれている。

 さきほど、カラヤンが作る音楽は、分からないと書いたけど、
その少ない範囲でも書いてみたくなった。
カラヤンの演奏は、語弊があることは重々承知だけど、
どこにも力が入っていない。どこまでも自然である。
楽譜に忠実な上に、ワンポイントの演出を加える。
それがよく言われるレガート奏法だと僕は思う。
心地よく聴こえ、音のひとつひとつが、耳に馴染んでくる。
まさにBGM。飽きることなく聴けるのが特徴なのではないだろうか。
ちなみに、僕は、実演を聴いたことがないからCDで判断している。
フルトヴェングラーやトスカニーニといった、それこそ個性の
塊のような演奏を聴いた後で、カラヤンを聴くと、物足りない。
という話になってしまうのだろう。しかし、泥臭さがなく、優雅な
音楽を作り上げるというのは、やはり一種の才能が必要だ。
カラヤンが生きた時代、二つの戦争を過ごし、人々は生活の
豊かさを求めてきていた。日本でいえば、高度成長なんぞが
それだと思う。そこでは泥臭さは排除され、綺麗なものが
望まれていた。その点、カラヤンは求められたか、察知したか
は分からないけども、うまくマッチしていたのではないだろうか。
しかし、カラヤンの死とともに、21世紀に入り、エコが叫ばれ、
シンプルさがより求められている時代に入った。
この声をくみ上げ、自分の音楽に取り入れてくる指揮者が、
次世代のカラヤンになってくるのではないか。
その指揮者が死ぬときは是非、知りたい。死ぬとき、何を
見たか、と。

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