カラヤンの生誕100年
久々の更新。最近、芸能人とかのブログを見ていることが
多いのだけど、良く毎日更新できなるなぁと感心している
人間です。少しは見習わなくてはいけません…。
今年は帝王カラヤンの生誕100年の年。といっても、
カラヤンだけではなく、ナニワの大将朝比奈隆の生誕100年
でもあります。別のジャンルに目を向ければ、名優長谷川一夫。
小説では永井荷風の「あめりか物語」が刊行された年。
なんでこんなことを知っているかといえば、2000年に新潮文庫
で組まれたシリーズ、1901年から2000年まで1冊ずつその年に
刊行された本を取り上げた「新潮文庫20世紀の100冊」で、
1908年は永井荷風「あめりか物語」が割り当てられていたから。
で、僕はそのとき、その本を買った。もう、背は日に焼けて
薄くなり、プレミア(がつくかどうかわかりませんが)的な価値は
ほぼゼロに等しくなっている。まぁ、どうでもよいのだけど。
1908年に生まれたカラヤンは、それこそ20世紀を代表する
指揮者でした。全てを手に入れたけど、それが果たして幸福を
もたらしたどうか。ほとんど小説になるような生涯のように思える。
ヨーロッパ中のオーケストラを手中に収め、自家用ジェットで、
世界中を飛び回る。そこに至るまでに幾多の苦労、陰謀。
苦労して手に入れたオーケストラとの決別。
果たして最後に彼が見たものは?! と入れれば、立派な
ドラマが出来上がる。
僕個人的なことを言えば、カラヤンの作る音楽は、まだ良く
分からない。分かろうとしていないところもあるけども。
でも、彼がいなければ、ここまでCDで音楽を楽しめることも、
なかったのではないだろかと、ふと思うときもある。
CDだか何かを作るときに、時間を自分のベートーヴェンの第九が
入るように設定したのは有名な話だし、自分を全面に押し出し、
クラシック音楽のより一層の大衆化を果たしたといわれている。
さきほど、カラヤンが作る音楽は、分からないと書いたけど、
その少ない範囲でも書いてみたくなった。
カラヤンの演奏は、語弊があることは重々承知だけど、
どこにも力が入っていない。どこまでも自然である。
楽譜に忠実な上に、ワンポイントの演出を加える。
それがよく言われるレガート奏法だと僕は思う。
心地よく聴こえ、音のひとつひとつが、耳に馴染んでくる。
まさにBGM。飽きることなく聴けるのが特徴なのではないだろうか。
ちなみに、僕は、実演を聴いたことがないからCDで判断している。
フルトヴェングラーやトスカニーニといった、それこそ個性の
塊のような演奏を聴いた後で、カラヤンを聴くと、物足りない。
という話になってしまうのだろう。しかし、泥臭さがなく、優雅な
音楽を作り上げるというのは、やはり一種の才能が必要だ。
カラヤンが生きた時代、二つの戦争を過ごし、人々は生活の
豊かさを求めてきていた。日本でいえば、高度成長なんぞが
それだと思う。そこでは泥臭さは排除され、綺麗なものが
望まれていた。その点、カラヤンは求められたか、察知したか
は分からないけども、うまくマッチしていたのではないだろうか。
しかし、カラヤンの死とともに、21世紀に入り、エコが叫ばれ、
シンプルさがより求められている時代に入った。
この声をくみ上げ、自分の音楽に取り入れてくる指揮者が、
次世代のカラヤンになってくるのではないか。
その指揮者が死ぬときは是非、知りたい。死ぬとき、何を
見たか、と。
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