カテゴリー「CD感想記」の記事

2008年11月 7日 (金)

アルテミスカルテットのピアノ5重奏曲

 今思えば、ちょっと大げさな宣言だったのではなかろうかとちょっと、恐くなってきたけども、早速、オススメのCDを挙げます。

アルテミスカルテット
pf/レイフ・オヴェ・アンスネス
シューマン ピアノ5重奏
ブラームス ピアノ5重奏


このCDは、イギリスの音楽雑誌グラモフォンのアワード2008でも室内楽部門でトップを勝ち取ったもの。受賞理由の一部に「巧妙さやわざとらしさがなく、局の内面を明らかにし、喜びに満ちた演奏」というのがあった(拙訳。間違ってたらごめんなさい)。

CDを聴くと確かにその評は当たっていると思う。でも、自分はこれを見て買ったわけではない。新宿のビルの上階にあるCDショップで試聴して、そのままレジに駆け込んだ。シューマンが好きだからちゃんと聴きたくなったというのもあるけども。

 音が耳に入ってきて、脳をごちゃごちゃにするような感覚。正直言うと弦楽やピアノの音がとても綺麗だとは思わなかった。例えば昔の録音を聴くと、全てが一つに聴こえるような演奏を求め、目指して音楽が作られている。このCDは違う。それぞれが殺陣のように、切り合い、ぶつかりながらも、ひとつの音楽を作っていく。こういった音楽は、クレーメルやアルゲリッチ、マイスキー、バシュメットが作った一つの境地に近いものがあるのではないだろうか。モーツァルトやハイドンの室内楽を当時の宮殿で、演奏したら誰もが食事の手を止め、聴き入ってしまう。今だからこそできる演奏なのだ。演奏から伝わってくる力強さや躍動感は、従来の大人しいと思われるクラシックのイメージを変える新しい一面を作り上げている。

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2008年8月17日 (日)

グールドを聴いてしまった

 長らくご無沙汰をいたしました。病気とかしたわけでは、
ありません。ただのサボりです。
 久々の涼しい気候で、とろけだした脳みそも、やっと元の
形に戻ってきた気がします。といっても、中身がなければ、
なんら意味がないのですが。

 昨年は、パーヴォ・ヤルヴィとドイツ・カンマーフィルの
演奏に燃え上がった夏でした。今年はというと…なんも
ないです。演奏会に行きたいなと思いつつ、家から出る
こともなかなか億劫になり、CDを聴き漁る夏になってます。
 そんな中で、最近、気になるのが、やっぱり上に挙げた
コンビ。一年以上、はまっているんですねぇ。驚き。
彼らはピリオド奏法のオケとして、名を挙げてきているんですが、
ピリオド奏法ってけっこう、昔からあったのではないかと
教えてくれたCDを発見。発見といっても、めちゃくちゃ有名
なので、イマサラかよって思う人がほとんどだと思いますが、
僕にとっては、新鮮でした。

 グレン・グールド バッハ「ゴルトベルク変奏曲」(55年録音盤)

バッハは、まだまだ早いだろう、相手には去れないだろう
と思い、全然と言ってよいくらい手を出さなかった。
が、とうとう、聴いちゃいました。買うときに、店員さんと
しばらく話し込んでしまったけども、その時に得られた情報に
よると、グールドはなんでも、ピアノをチェンバロのように
弾くという。チェンバロのようにとは、全ての音が同じ響きに
なる。ピアノは、レガート奏法(なめらかな曲の感じ)や、
大きい音や小さい音を出すのが容易に出来る。
しかし、チェンバロは、それが難しいのです。構造的な問題
らしいですが。しかし、グールドはチェンバロ的な奏法を
わざと、意図的にピアノに用いることで、これまでとは違う
新しい(奏法からするとかなり古い…?)響きを作り出した
のです。まぁ、細かい話は、いろんな方が、それこそたくさん
本にして書いているのでそちらを参考にしてください。
 それにしても、この手法ってピリオド楽器で演奏していた
奏法をモダン楽器に取り込んだ話に似ているなぁと
思ったのでした。
 まさか、グールドの影響ではないだろうけども、
何か共通の下地はあったと思える。
その下地とは何か。それはまたの機会で。

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2008年5月23日 (金)

昔+ちょっと昔は今

とうとう発売されました。パーヴォ・ヤルヴィ&ドイツ・カンマーフィルの
ベートーヴェン・チクルス第3弾交響曲第5番と1番。
492

早速、聴いてみたけども、ますます切れてます。
ただ、あっさりとしているだけではなく、重厚かつあっさり。
ピリオド奏法とモダン奏法の融合と書かれるけども、
それだけなんだろか。
ピリオド奏法が下火になりつつ、今、新しい奏法を
見つけてそれを押し出したい気持ちも分かるけども。
結局、ピリオド奏法を始めたのは学者たちであって、
学術研究という点からすれば、あって当然のこと。
それまでの奏法と違うのは、それこそ時代の変遷であって、
誰にも非はない。しかも、研究の成果であるとすれば、
プロである指揮者はチラリとだけでも目を向けるのが、
自然ではなかろうか。それを取り入れて演奏に向かう
指揮者が増えてきたということなのだろう。
それが、新しい流派になるのかは知らない。
そもそも流派があるのかだって分からない。
楽譜という素材を使って、自分の持っているものを、
音楽にして、聴衆を魅了する。
そういったスポーツ的な側面をこの指揮者は持っている
気がする。

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2008年2月13日 (水)

シューマンの改訂版

 ちょっと前に購入したCDを聴き直していた。
 リッカルド・シャイー指揮
 ライプチヒ・ゲヴァントハウス交響楽団
 シューマン交響曲第4番(マーラー改訂版)

面白かったんです、このCD。よく、シューマンのオーケスト
レーションが悪いから指揮者、演奏者は苦労するみたいな
ことを目にするけども、果たしてそうなのか? と疑問に
思わせるCDでした。もちろん、マーラーもそう思ったのだろう
からわざわざ改訂版を作ったのだろうけど。
でも、結局、改訂版を作っても指揮者の腕次第だってのが
わかってしまう、そんな印象を持ちました。
もともとある素材を調理するのが指揮者の役目。
アジをマグロっぽく見せるなんてのは、どだい無理な話で
客もそんなの期待していないのではないだろか。
マーラーが求めたのは、ただひとつ、簡潔にすること。
聴こえて欲しい楽器のために、他を削ったりしている。
ただ、そうすることでシューマンが望んでいた音色を
作ることが出来たのか、それはわからない。
マーラーが生まれる頃にはシューマンは死んでしまって
いたわけだし。
ひとついえることは、シューマンの耳には様々な音色が流れていた。
ピアノ曲で用いたいろいろな技法は、新しいジャンルを作るとともに、
新しい音を作ろうとしていたと僕は思うから。
改訂版は決してマーラーの交響曲のように、ありとあらゆる
楽器が鳴り響くようなものにはなっていない。
さきほども書いたように簡潔になっている。
僕が思うにシューマンが求めた音色とは、楽器を重ねることで新しい音を
作り出そうとしたのではないだろうか。
例えば、ヴァイオリンとクラリネットを重ねたベートーベンの運命の主題。
クラリネットを入れることで、深みを増す。より立体的になる。
もし、シューマンがそういった効果を考えていたのなら、
どういった効果を狙っていたのだろうか。
シューマンは改良された楽器に興味を持っていた。
その一例がホルンとピアノの曲「アダージョとアレグロ」だ。
解説によれば、バルブがついたホルンに興味を持ったシューマンが
それを最大限生かすために作り上げた曲だという。
ホルン奏者にとっては、とても難曲であって、アマチュアでは
なかなか吹ききることは難しい。プロでも大変と聞く。
内気でロマンチックな、甘い音楽しか作らないといわれそうな
シューマンだが、実は好奇心が旺盛で、新しいことには、
なんでも興味がある人物だったのではないだろうか。
だからこそ、いろんな分野に手を出していったと僕は考える。
そうすると、彼の交響曲はどんな意味を残したかったのか、
それを今の学者たちは研究をしなくてはいけない。
もし、それが研究されているのなら、それが僕みたいな
エンド・ユーザーでも手軽に入手できるような、
安価な情報源を持てるようになってほしい。
少なくとも、いろいろなところで網を張っているつもりだけど
なかなか、ひっかからない。
残念だな。まだ、努力が足りないかな。

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2008年2月 3日 (日)

雪が降る降る

 東京をはじめ、関東各県は大雪です。先週だか先々週
に降った気もしましたが、朝起きたら積もってる、こんな時は
どこにも行かないで布団でヌクヌクしていたい。と、11時
まで粘っていたけど、やはり少しくらい外に出て行って
雪を体感したい。僕はまだわかいなぁと改めて認識して
散歩してきましたよ。最近、デジカメを買ったので、雪の
写真なんか乙じゃねぇかとテンション高めで陸橋から電車
を撮ろうとしたけども、手は寒いし、日曜の昼間なんてたいして
走ってこないしで、15分くらいで、こういうのはその道のプロ
に任せようと、近くのコーヒー屋で、一杯やって、そのまた
近くの古本屋を冷やかし、面白そうな本があったから買おうと
して、財布の中が足りず…。コーヒーの香りがまだ身体に
残っているのがうらめしい。と、ふと店の入り口にビジュアル本
2割引きとなっているのを思い出した。まぁ、とりあえず、お金を
おろさなきゃと思いつつも、誰かに持っていかれたら嫌だから
店主に今から銀行に行ってすぐ、戻ってくるから、キープさせて
くれと頼み、ついでに値段を確認。そしたら、なぜか3割引きで
計算をしてくれる。言ってくれた値段が、財布の中身とドンピシャ!!
ありがたいですねぇ…。しかも、いろいろと情報をくれたし。
また、買いに来ますよとお礼を言って今帰宅です。
 と、超近況を記してみましたけど、これといって深い意味
はありません。ただ、最近買ったCD

メンデルスゾーン&チャイコフスキー
ヴァイオリン協奏曲
ヴィクトリア・ムローヴァ(ヴァイオリン)
メンデルスゾーン
アカデミー・オブ・セント・マーティン・イン・ザ・フィールズ
指揮:ネヴィル・マリナー
チャイコフスキー
ボストン交響楽団
指揮:小澤征爾


を聴いていたら、そんなことを書きたくなってきた。
ちなみにチャイコの方です。知り合いに、この録音は最高だと
教えてもらって、近くの山野楽器に入ったら1割引きで売ってた
ので即買をしたわけです。
録音は…の意味が分かりましたよ。
なかなか面白い演奏だなぁと…いろんな意味で。
小澤の指揮って、ベトーッとさせることが多いように思えて
個人的にはあっさり、乾燥したほうが好きなので大して
興味もてないのですが、この演奏はそこまでベトーとして
ないのです。でも、乾燥した演奏ではなくて、なんというか
そう、まさにシットリ系なんですね。ムローヴァなんて今や大家
というような印象があるのですが、この演奏では、なかなか
頑張ってる感じがします。どんな頑張りかといえば、
オケを引っ張ろうとして、オケとちょっとずれっちゃっていたり、
でも、気がつけばオケに引っ張られている、でもって、
こんなはずじゃないってちょっと困惑してる姿があるんですが、
最後は、うまくできてんですねぇ、皆さん、それぞれ納得して
終わってるんです。同じ落着点につけているのかは、聴いて
からのお楽しみですよ。
 これの曲に関しては、やはりハイフェッツの演奏を抜きに
は語れないでしょう。自分が初めて買ったヴァイオリン協奏曲
はまさにハイフェッツでした。ライナー/シカゴ、ミュンシュ/ボストン。
超ど級の演奏でした。ハイフェッツのジプシー音楽っぽいところ
(勝手な印象であり適当発言です、真に受けないでください)
なんて、世界ってひろいなぁとはさすがに思いませんですが、
楽器ひとつとってもいろんなのがあるんだなぁと普通に感じてしまいました。
その後、youtubeを観ていたら、ハイフェッツ、ライナー/シカゴの
映像があったんですね。これには感激でした。
ちょっと冷たい感じがする面持ちのハイフェッツ。
ブルドッグみたいな感じで、怖そうなライナー。
ミスターメトロノームとか言われていたそうで、団員にも
怖がられていたそうですね(ウィキペディア他より)。
それでも、やはり買った当時のことをふっと思い出させてくれました。
感想以外のいらない思い出は邪魔でしたが。
やっぱり、音楽は魔物なのかもしれません。

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2007年10月 1日 (月)

室内楽を楽しむ秋

 最近、室内楽のCDを買うことが多い。今までオケの曲
がほとんどで、あまり目を向けていなかったからというの
が理由だけど。
また、室内楽というと、弦楽四重奏が、賢者の会話とか
言われていると人から聞いたか、本で読んだかして、恐れ
おののいて、敬遠してたというのもある。賢者の会話…。
それだけで難しそうなオーラを感じる。
 だけども、それじゃいけねぇと買ってみました。何枚か。
こういうときに定盤という言葉は助かります。
ジュリアード弦楽四重奏団
 モーツァルト
  弦楽四重奏曲第14番~第19番「ハイドン・セット」
なんでも、この一連の曲は弦楽四重奏の中でも、最高峰
をいくような名曲らしい。こりゃ、聴いてみるしかないべと
早速、かけてみたけども。きてますねぇ、賢者ですよ。
交響曲第40番とか41番とか29番とか25番とか35番の
イメージで聴いちゃダメですね。賢者だから。これがこう
なるからこっちではこうやって、みたいなある種の実験音楽
のように聴こえてしまう。そこには走る悲しみなんてないし、
モーツァルト特有のなんというか、あれです、聴けばすぐに
これ、モーツァルトと思いたくなるような音楽の軽やかさも
ないです。
 賢者をなめちゃいけない。でも、聞き込めば、はまりつつ
ある自分がいるからゲンキンなもの。こういうものこそ、
耳だけでなく、目で楽譜を追いながら聴くとより楽しめる
のだろうね。ここでこうするから、あそこではこうなってる。
会話というよりは、賢者が知恵を出し合って、難しい数学の
難問に取り組んでいる、そんな印象でした。

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2007年9月18日 (火)

灰色のオケのヴェルディ序曲他

 クラシック音楽は、ヨーロッパの歴史とともにある。よう
はそれだけ長い。長いからいろいろな曲も生まれ、感動
させるだけの力量を持つ演奏家たちも多く、余りにも多く
いる。その中で、自分たちの耳を楽しませてくれる人は
限度がある。どんなに広く手を伸ばしても、一人の演奏家
の全てを網羅することは不可能だし、それが死んでいた
CDなりカセットなり記録されたものだけでしか、触れる
ことはできない。
 先週、ある指揮者の演奏をCDで聴いていて本当にそれ
を実感した。その指揮者はトゥーリオ・セラフィン。以前、
このブログでマリア・カラスを取り上げたことがあったけど、
そのとき伴奏をしていたのがこの指揮者だった。あとから
気がついたのだけど。

CDの中身。カッコ内は演奏オケと録音年
ヴェルディ: 「シチリア島の夕べの祈り」序曲(ロイヤルフィル1959年)
        「椿姫」第1幕前奏曲(同上)
        「椿姫」第3幕前奏曲(同上)
        「運命の力」序曲(同上)
        「ナブッコ」序曲(フィルハーモニア1959年)
        「アイーダ」第1幕前奏曲(同上)
ベリーニ : 「ノルマ」序曲(フィルハーモニア1961年)
        「ノルマ」第2幕前奏曲(スカラ座オケ1960年)
ロッシーニ: 「シンデレラ」序曲(フィルハーモニア1961年)
ドニゼッティ:「Linda di Chamounix」序曲(同上)
       「Don Pasquale」序曲(同上)Photo

 セラフィンは、CDの解説によれば「イタリアオペラの
ゴッドファーザー」と言われていたらしい。ちなみに
この命名者はEMIのプロデューサーであるウォルター・レッグ。
 セラフィンの経歴は、僕の英語力の限界もあって(CDの
解説は英語、フランス語、ドイツ語のみで日本語はついて
いない)、よくは分からないのだけど、トスカニーニの下で
研鑽を積んできたらしい。そのせいなのか分からないけど
も、オケの演奏は統一感で満たされている。
 でも、トスカニーニのように指揮棒の下に統一をさせる
のではなく、指揮棒とともに歌わせている。実演を聴いた
わけではないからここから先はなんともいえないけども、
僕の耳にはそう聴こえてきた。イギリスのオケがほとんど
だけども、この頃の実力はそれこそ、かなりのものだった
らしい。特にフィルハーモニアは僕の好きなホルン吹き
のデニス・ブレインがいた(この録音年では死んで4年くらい
経っているのだけど)、それでも各楽器に大家がいたのは
事実で、クレンペラーとの数々の名録音を残しているのも
この時期。それだけ反応がいいのではなかったか。
ロイヤルフィルだって、ビーチャムの下で粛粛と演奏をして
いたオケ。どちらもセラフィンの意図するところをくみ上げて、
イタリアのオケのように華々しくではなく、ヴェルディ特有の
灰色的な部分を出せているのではないだろうか。灰色的な
ものを持つのがイギリスのオケの大雑把な特徴だと何かで
読んだばかり、あぁ、確かにそうだなぁと思った矢先だ。

 秋の夜長、まだまだジトッとしている時期ですが、
興味のある人には一聴をおすすめしたいCDでしたよ。

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2007年4月18日 (水)

なんちゃってシューマン論

 今、バーンスタイン指揮ウィーンフィル演奏のシューマンの交響曲4番を聴いている。音が華やかで、シューマンじゃないみたい、というのが第一印象だったけど、何回聴きなおしてもそれが、変わることはない。

 いつだったか、かなり前になるけれど、某出版社から出てた、名曲のベスト盤CDのランキングをまとめたムックを良く見、参考にしていた。この曲に関しては、たしかフルトヴェングラー指揮ベルリンフィル演奏の1953年版が一位だったか。今、聴いているバーンスタイン盤もかなり上位に食い込んでいた。
 いまいち、はっきりとしていないけど、なぜ、この盤が上位に食い込むのかが分からない。昨今のクラシック音楽ファンは意外に派手好み?たしかにクライバーにしろ、バーンスタインにしろ、そういったところはある。あるけども、しかし…。と、僕は思う。 力強い音楽が、全てのジャンルにおいて主流になってきている今、歌を聴かせる音楽も力強くなくてはいけないのだろうか。勘違いして欲しくない。僕は、そういった音楽を否定するつもりは全くないし、気が向いた時は聴いている。ただ、今、聴いているこのCDは、音の綺麗さとは無縁の世界で音楽をやっている。それは事実だ。例えウィーンフィルが演奏だったとしても、それは紛れもなくそういったものを指揮者は求めず、奏者たちはそれに応えようとしている。
 アンサンブルというのは、つきつめれば、メロディラインを奏でる人たちをどう周りがフォローをするかそういった点にあると僕は考える。綺麗な音でやられれば、サポート側も、負けじと綺麗な音を出さざるを得ない。
 不思議なことに音楽はそれだけで成り立たない。評論家の良く言う心があるかないか。それが大きく左右してくる。ただ、それは感性の問題。そういってしまえば、この音楽には、心があるかないかなんて…あるに決まってる。それはひしひしと伝わる。でも、僕には、どこかで否定をしたい一面を持っている。それは音の綺麗さだ。
 今、聴こえている音は汚い。出だしの和音からして、耳につんざくような音がしてくる。こういった演奏に感激したのか「マーラーのように聴かせてくれる」と、先ほど述べたムックには読者の投稿としてあったと思うけど、それはあまりに勘違いすぎる。シューマンはマーラーであってはならない。マーラーを否定するつもりは全くないが、彼の求めていた音楽は、もっと文学的で、詩的なものだ。死や錯乱を感じさせるものがあったとしても(例えば交響曲第2番2楽章)、そう感じさせるのがシューマンだと僕は考えている。

 マーラーはそういったものを直球で、伝えてくる作曲家の一人なのだ。

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2007年4月15日 (日)

カラスの歌声初体験

 マリア・カラスのCDが出た。これまでに
出ていたものをリマスターしたものらしい。
これまで、映画でやっていたのを見たぐらい
しかちゃんと聴いたことがなかった。こんなに
クラシックのことを書いておきながら、さらっと
ふざけた告白をするなぁ…書きながら自己批
判だけど、事実だからしょうがない。
 これまで、ほぼ管弦楽にピンポイントを絞って
いたため、必然的に歌まで回らない。そもそも、
オペラやアリアといったものは、CDで聴いても
途中でダウンするのが経験上、ほとんど。前に
NHKBSでチョン・ミョンフン指揮オケはフランス
国立(…だったっけ?)のカルメンを放送してい
たけど、録画して、抜粋で楽しんでしまっている。
もちろん、通してみたけど、やはりこのシーンが
いいなぁと、早送りして(チャプター分けをしてい
ないから)そこだけ楽しむ。便利な世の中です。

 そんなこんなでマリア・カラスです。さすが立派
な歌声です。僕の貧弱なスピーカーでも、耳の
奥まで響いてくる歌声には、脱帽するしかない。
聴いた第一印象。どんなに華やかな声でも、ど
こか寂しさというかそういったものが潜んでいる
ように聴こえた。かつてのウィーンフィルのような
響き。そういった複雑さが歌に混じった場合どう
なるか。物語に裏があったり、込み入った筋が多
いオペラでは、この歌声が最大限発揮される。
 テクニックとかそういったものは、よくわからない。
ただ、音が耳をこじ開けて飛び込んでくる、
そんなことは初めてだった。ただ、驚くしかなかった。

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2007年4月 2日 (月)

ジョージ・セルのブラ1

 最近、ジョージ・セルが指揮したCDが4枚
まとめて出た。かつて出ていたが、新しく
録音しなおしたり、あまりに古かったといった
理由でお蔵入りになっていたのを、リマスター
したらしい。新しく録音したりといったら語弊がある。
セルは今から37年前の1970年に亡くなっているからだ。
崩御といった単語がこのとき、使われたかどうか
は知らないけれど、一部の人にはその単語しか
浮かんでこないような人だった。

 今、リリースされた中の一枚、ブラームスの
交響曲第1番を聴きながら、書いている。
一言でまとめてしまうと、定評どおり、各パートが
澄んだ音で聴こえてくる。僕の、あまりに情けない
ミニコンポでさえ、そうなのだから、きちんと
設定された再生機ならとんでもない音が
聴こえてくるのではないか。でも、元の音が
どういったものかは分からない。
自分が生まれる前に死んでしまっている。
CDを聴いて想像をするしかない。寂しいことでもあ
るけど、それを楽しんでいるのは確か。

 演奏に関して、言えば、低音が想像以上に響い
ている。各パートが澄んで聴こえるというのは、いろ
いろな本にセルの特徴として書いてあるため、
無意識にそう聴いてしまっているのかもしれない。
しかし、ヴィオラやセカンド・ヴァイオリンの刻みが
心地いい。セルの求めているテンポを、奏者一人
一人が理解し、実行をしている。アンサンブルに
かけては、世界一とまで言われたクリーヴランド
オーケストラの面目躍如といったところか。もしくは、
もうこの人には逆らえないと、奏者たちが白旗を
揚げているのかもしれない。

 フルトヴェングラーやミュンシュといった往年の
指揮者が振ったブラ1に比べるとテンポは速い。
疾走といってもいいくらい。3楽章などはこちらの方が
僕は好きだ。一陣の風の中にあせりというか、
寂しさというかそういった感じが出ている。
弦楽器の音がきつめなのが玉に瑕。しかし、
それがセル時代のクリーヴランドの特徴でもあった。

 4楽章の出だしは、その弦楽器がうまく
はまっている。ホルンの有名な箇所は、
久々というかそれ以上に感動があった。
アルプスの山に響くホルンの力強さは、
こういったものをいうのだ。それ以上、
表現できる言葉を僕はまだ持っていない。
 ライブ録音ではないと思うのだけど、
そういったように思えてくるのはなぜなんだろう。
それ以上の情報を僕はまだ持っていない。

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2006年12月20日 (水)

ブラームス「ハイドンの主題による変奏曲」から その1 

 前回、予告したとおり、フルトヴェングラー指揮、「ハイドンの主題による変奏曲」(以下、ハイバリ)の聞き比べを書いていこうと、思うのだけど、迷ってます。どういった風に思っていること、考えていることを伝えるべきかと。楽譜をポーンと提示してここが、これでとかやれればよいけど、それは技術的に難しく、かといって、いろいろな評論家がやるように、何十小節のこの音がなんてのもやりたくはない。そんなんで分かる人がどれぐらいいるのだろう。少なくとも僕は、その曲のスコアを持っていない限り意味不明。だから、印象をつらつらと書いていくことになってしまうだろうと思うけど、せっかくの機会に残念だなぁ、どうしようかなぁと迷ってます。
 あと、先に触れておかなくてはいけないことがある。こういった批評の世界では一種タブーになっていることだけど、どんな再生機を使ったかということ。ミニコンポです。というだけでは満足できない人がいるのです。そんなんで聴いているから分からないと言われることだって有り得る世界。これぞ、クラオタというやつですな。クラシック音楽オタクという人々の世界は、厳しいものなのですね。

 と、書いたあたりで、早速。今日はさわりだけ。

 ちょいと前回、書いたものを適当にまとめて、再録すると、このハイバリは最初にテーマという基本となるメロディを演奏して、次から次にそれを元に、親戚のような音楽が演奏されるもの。ジャズのスタイルと似ていると指摘しました。で、僕の手元にはフルトヴェングラーという今から50年前以上の大指揮者が残したCDが2枚あり、それを聞き比べてみて、「同じ曲、同じ指揮者なのにこんなところが違うわ。たぁのすぃ~」というのを書いてみたいと明言したのが、前回まで。
 で、その2つのオケは、ベルリンフィルとウィーンフィル。違いは聴けば分かってきます。なんて、いきなり終わることは言いませんが、でもこれが実は大切なんです。楽器の種類が微妙に違うため、同じ音符を吹いているのに、聴いた感覚が違う。特に最初の曲(テーマと呼ばれるやつです。簡単に言ってしまえば、基本となるメロディ)は、オーボエがソロを吹いているのだけど、ウィーンフィルのは、丸っこいけどはっきりとした輪郭を持つような音。ベルリンフィルは、ウィーンフィルと同じように丸っこいけど、周りに溶けるような音。はい、分かりにくいですよね。でも、これは聴いてもらわなくては伝わりにくいです。録音状態も全く違うから。(これはさっきも書いたけどタブーとなっています。言い訳に使いやすいから)しかし、違うものは違うのだから書いてもいいと思うのですけどね。
 というのも、ベルリンフィルの場合、他の楽器の音も良く聴こえてきます。バランスをうまく保ちつつ、そこにオーボエの音をきれいにきかせようとしているみたいに。例えるなら、しょう油をつけたお刺身みたいなもので、お刺身の味に、しょう油のしょっぱさが加わることで、よりおいしくなるというようなものです。
 ウィーンフィルの場合はどうか。これは、オーボエの独壇場になっています。他の楽器の方々はもう、邪魔してはいけないというかのようになるべく小さく小さくしています。そうすることで、オーボエの音がはっきりと聴こえてくるわけです。先ほど、書いた丸っこいけどはっきりとした輪郭を持つような音とは、このことによるせいだと思います。丸っこいのは、オーボエという楽器が持つ特性のようなもの。はっきりとした輪郭を持つことは、回りがうまく立たせているからなのですね。

 と、さわりの部分を書いてみました。次回、以降はもっと掘り下げていってみたいと思います。ではでは。

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2006年12月17日 (日)

予習です。

 前回、予告ということで、CDの聞き比べを予告したけれど、今回は、その予習編。まぁ、こちらが準備できてないというのあるけれど。取り上げるつもりの曲は、「ハイドンの主題による変奏曲」。はい、難しそうだなぁと思った方、ちょいとお待ちを。英語に直すと「ハイドン・ヴァリエーション」。どうです?少しは親しみがわいてきた…なんてことはあまりないですよね。。ようは、最初にテーマを出して、次から次にヴァリエーションを出していくという感じの曲なんです。どっかで似たようなもの耳にしたことありませんか?そう、ジャズです。ジャズがこれを参考にしたとは思えないのですが、形的には似ています。途中で、なんでこんなのが、と思ってくるのですが、それは、専門家に分析してもらいたいと思います。

 この曲をなんでとりあげるか。この曲は、そのオケの実力がはっきりと分かってしまうという曲なんです。つまり、これが下手だったら他の曲も期待しないほうがいい、というオケに携わっている人間にはとても緊張感漂う曲。実は、今、僕もこの曲をアマチュアのオーケストラでやっているのですが、確かに難しいんです。どういったところがという詳しいことは次回にしますが、でも、最後の終曲を吹くとそういったものも全部吹き飛ぶくらい達成感があるのもまた事実。

 どの指揮者で紹介しようかなぁ、と考えて家にあるCDを一枚一枚見ていったのですが、今回は、同じ指揮者で録音年代が違うという縛りを勝手につくったので、一人しかいませんでした。フルトヴェングラーさん・・・。しまったなぁというのが正直な感想です。というのも、彼は1954年という、もう今から50年以上前に亡くなっている方なのですが、今でも熱狂的なファンを持っていて、今のクラシック音楽の原型を作ったといっても過言ではない方なのです。映像とかで見たことがあるのですが(もちろんシロクロ)、不思議な(ファンの方には失礼)振り方をする人。振り方というのは指揮棒の振り方ですが。ケイレンでもしているかのような振り方で、あのようなすばらしい音を作れるというのはやはり天才なのでしょうね。機会があれば、見てみてください。先日、タワーレコード新宿店にあの方の映像が入ってるDVDが売られてました。ワーグナーのマイスタージンガーの前奏曲をやってたのですが、見入っちゃうんですね。ちなみにこの曲はサッカーの日本代表の曲として、よくテレビで流れているので聴いたことあるかたは多いはず。

 ま、そんなわけで、今週中に聞き比べの楽しさを僕なりに紹介したレポートをしてみます。お楽しみに。

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2006年11月21日 (火)

ドイツ・カンマーフィルハーモニー・ブレーメンを考える その2

 昨日は、ドイツ・カンマーフィルハーモニー・ブレーメンについて、雑感を書いた。今日もその続きになる。一日書いて、また変わったりするのは仕方がない。文章は寝かすのが一番。で、続き。

 このオケに関しての補足説明をしておく。いつからかは、まだわからないが、トランペットとティンパニについては古楽器を用いている。ここで、問題なのだが、この両楽器を古楽器で用いると何が変わるのか。トランペットに関して言えば、音色の問題に他ならない。右手、もしくは左手で音程を変えることが出来ない上に唇では、技術的にも限られているからだ。現在、主流の楽器に比べると、よりまっすぐな通る音が特徴できだ。ピストンやバルブといった障害物がなく、ストレートに、息がひまわりから出て行く。
 ティンパニも音質にが違っていた。乾いた、響きの残らない音が、前回書いたドライブ感をより一層の演出をしている。トランペットもティンパニも、必要なときに、必要な音だけを出す。ヴァイオリンとは違い、一発でしとめるハンター的な役割がある。それだけに音質が、変わると、曲の印象が全く違ってきてしまうのを、この二つの楽器が教えてくれた。

 それにしても、音という問題はやっかいだ。昨日、今日と取り上げておきながら、唯一の不満はここにある。ベートーベンの交響曲第1番、4番での木管が問題。浮いてしまうのがなんとも残念。それ以外がいいために特に聴こえてきてしまう。今はどうなっているのかは定かでないのがまた残念だけども、こればかりは生で聴いてみるしかない。

 かつて、吉田秀和がシャルル・ミュンシュ指揮ボストン交響楽団の来日公演について、各パートが鮮明に聴こえるが、どれも離れているというような内容の批評をしていたが、きっとこのオケの木管みたいに聴こえていたのかもしれない。このミュンシュの公演に関しては、DVDが発売された。まだ未確認だが、機会というか、お金さえあれば、すぐにでも確認してみたい。どんな演奏であっても、肥やしになることは間違いない。期待しちゃうよね。

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2006年11月20日 (月)

ドイツ・カンマーフィルハーモニー・ブレーメンを考える

 今までぶちぶちと、言いたいことを言ってきたけれど、そろそろ本格的に始めていきたいと思う。すなわち、僕の音楽批評。

 演奏会にしょっちゅう行けるような経済力ではないので、CD評になってしまうのが残念だが、演奏会に行ったときには、ちゃんとその演奏評をするようにしたい。

 第1回目ということで、どこにしようか迷うけど、最近、知ったところからはじめたい。

 ドイツ・カンマーフィルハーモニー・ブレーメンというオケをご存知だろうか。まだ、プロオケの中では、新しく組織された部類に入る。とは、いっても出来て20年以上はあるが。彼らは何度か日本に来たことがあるらしい。自分は、まだ聴いたことがないけども、次、くるときは必ず行きたいと思っている。というも、やはりCDを聴いていて楽しいからだ。最初、新宿のタワーレコードで試聴した。パーヴォ・ヤルヴィ指揮のベートーベンの交響曲第3番と8番だった。聴いていて不思議な気持ちになった。うまいなぁというのが率直な感想だが、何がうまいのか、どううまいのかが説明できなかった。居心地が良くて、誰にも言えないというより、言いたくない路地裏のいい店を見つけた気分だった。興味を持ってそのCDを買ったのが、そもそもの始まり。

 何回も聴いて、やっと何がいいのかが分かって来た気がする。それでもまだはっきりとはしていないのが残念だけども。このオケは、室内オケ。人数の大きいオケでは、聴こえない音まではっきりと聴こえてくる。それが新鮮だった。しかし、それだけなら、まだオケはたくさんある。次に、気がついたのは、ドライブ感。指揮者についていけば行くほど、オケにエンジンがかかってくる。それがとんでもない勢いとなって現れている。人に言わせれば、それは指揮者の影響だというかもしれないが、それは違う。違う指揮者、ハインリヒ・シフが指揮をしたベートーベン交響曲題1番、4番でもそれは見ることが出来た。また、ダニエル・ハーディング指揮のブラームス交響曲第3番、4番でもうかがい知ることが出来る。ドライブ感は疾走感ともいえるが、オケの持つある面での若々しさというのが前面に伝わってきた。

 ベートーベンの交響曲にそういったものが必要なのかどうかという話にもなるかもしれないが、結論を言えば必要である。よく言われる深刻さや、勝利につながる云々とは、結局、ロマン派全盛時代の名残であるといえる。ベートーベンは、ロマン派につながる人物として、言われるがロマン派の人間ではない。単純に考えてしまえば、彼はロマン派の前、古典派の人物なのだ。ハイドン、モーツァルトと言った面々の時代である。彼らに共通するもの、それはドライブ感であり、上品な音楽だ。語弊があるが、泥臭い音楽はロマン派以降に主流となっていく。

 古典派の音楽はそういったものではないと教えてくれたのが、古楽器で演奏する人々なのだ。このドイツ・カンマーフィルハーモニー・ブレーメンは、その古楽器演奏者たちが教えてくれたことをモダン楽器でやろうとしている。そこには、古楽器とは全く違った響きが出来上がっている。それもまた新鮮な音楽である。新しい潮流を作るとしたら彼らではないかと感じさせてくれるのだ。

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